その他/エンジニアが信条によって生きるということ

Bret Victor氏の「Inventing on Principle」というプレゼンテーションが素晴らしく、また大変共感したので、その内容をすこし書いておきます。

Bret Victor - Inventing on Principle from CUSEC on Vimeo.




「Inventing on Principle」というのは、日本語で言うと「信条によって創造するということ」という感じでしょうか。

「信条」という言葉は、ソフトウェアエンジニアリングの世界ではそれほど目にしないというか、大事な言葉としては扱われていないように思います。


氏の信条とは、「モノを作る人は、作業とその結果が直に繋がっていなければならない」というものです。

このプレゼンテーションはJavascriptのビジュアルな編集環境から始まります。最初は、彼の意図は「WYSWYGな環境を極めるとこんなことが出来るよ!」という話かと思いましたが、それは本質ではありませんでした。

このプレゼンテーションは、冒頭に彼自身が言っていたように、どう生きるかということについてです。



彼は、エンジニアは、社会活動家のように、信条・思想をもって、今までの社会になかった見方を広める、問題を顕在化させ、人々の常識を変えていくという生き方がある、と提案しています。
それは、短によりよい機能を作るとか、今までなかったサービスを作るとか、そういうことではありません。
これは、今人々が持っているある価値観・慣習、つまり「常識」に対し、新しい「よい・悪い」の価値観を広め、再定義することなのです。

たとえば、現在は「男女同権」という考え方は、「よいこと」として受け容れられています。しかし、これは最初からそうではありませんでした。世の中の常識に逆らって「男性と女性の権利は同等でなければならない」という信条をもった人々が闘った結果、常識の方が変わっていったのです。


エンジニアには、「アイディアを実現したい」とか、「技術を磨きたい」というモチベーションをもって仕事をする人が多いと思います。
しかし、信条を元に生きる、信条を元にエンジニアの仕事をするというのは、すこし違います。
信条を持つ人がなぜエンジニアリングをするのか。それは、「私は人々がこの問題に気付かずにいるのが許せない」という、義憤によって生きているからです。

氏は、「作業とその結果が直に繋がっていない」環境では、作る人は、発見出来るはずだった沢山のアイディアを発見出来ない、それはそれらの幾百のアイディアが死んでいく事だ、と考えています。氏には、この「環境が正しくないばかりに、アイディアが死んでいくさま」を見ているのが耐えられないそうです。だから、彼はエンジニアリングをする。世界が正しくない状態なのが許せないのです。


では、信条とは、どのような形をしたものなのでしょうか。


信条とは、かならずあなたに、目の前の問題に対して「はい」か「いいえ」の答えを与えるものです。たとえば、「クリエイターのために最高の道具を作ろう」は信条ではありません。これでは、あなたが何かに直面した時に、それが「正しい」か「正しくない」かを教えてくれないからです。
「作業とその結果が直に繋がっているか?」という質問は、かならずあなたが目にするものに「はい」「いいえ」の答えを返します。答えが「いいえ」の場合、あなたはそれを直して、正しい状態にする。それが信条による生き方というものです。そして、もしあなたがこの戦いに勝てば、人々が思ってもみなかった、人々の価値観を変える何かを創造する事になる訳です。

エンジニアは信条を持たずに生きることも出来ます。
しかし、社会活動家のように、信条によって生きるという選択肢が、実はあるのです。




というお話。
このプレゼン、私にとってはかなり心に来るものがありました。

誤解されないように言うと、氏は信条によって生きる方が偉いとか、そうすべきだ、なんてことは主張していません。そういう人もいるよ。実は、僕はこういう生き方をしてるよ。そんな感じでしょうか。大分控えめです。

感動したと言いつつ、私自身も「こうなりたい」とか「みんなこうなるべき!」とは、あまり思ってません。
幸せに生きられるのが一番ですし。

大体、「私は信条に生きている」なんてさらっと言えちゃう人は、正直怪しい宗教かwwとか思うし、胡散臭いというか、この人と仕事出来るのかと勘ぐってしまいます。

信条によって生きるエンジニアは、他にはアラン・ケイやRMSなどがそうでしょうか。大体みんな過酷な生き方をしていて、独善的・偏執的で、他人にあまり理解されない人達ですね。
彼らは他人の一部の考え方を許容せず、自らの(ほとんどは他人に理解出来ない)信条にもとって「断罪」するわけですから、柔軟性に乏しいとか、こいつヤベえ人なんじゃねえの、と思われる事がほとんどなんじゃないでしょうか。

例えば、RMSは正直、私にはとってはそんな風にも見えます。

彼の考え方は理解出来ますし、彼の生み出したソフトウェア群は素晴らしいです。私はemacsユーザーではありませんが、gccがなければ今の私はありません。
それでも、度々目にする彼の主張は私には極端すぎます。現実と噛み合っていない、もっと現実主義者になればいいのに、なんて感じる事は多くあります。
しかし、彼は自分の信条を世の中に認めさせるために生きている。だから、彼の信条からしたら、答えが「いいえ」のものは許せない、闘わなければならないことなのですね。

こういう生き方というのは、「そう生きよう」と決めて生きるのではなく、「気付いたらそうなってた」とか、「そういう生き方しか出来なかった」という事なのだと思います。信条とは、実は呪いみたいなもんかもしれませんね。
自分しか気付いていない問題があって、世の中の人はそれに向き合わずに生きている、それが我慢できないから闘ってしまう。正直、他人から見たら「お前は何と闘っているんだ・・」なんて言われるかもしれません。

でも、そう言われる程の激しいものが、信条にはあるように思います。まぁ、宗教による熱狂というか、確信を持った人というのは、良いか悪いかはともかくとして、折れないエネルギーを持っていますよね。

そして、世の中を変えてきたエンジニアの一部は、信条に導かれて仕事をしたのも、また事実でしょう。
そういう生き方をしている人がいる、ということを、すばらしく丁寧に紹介してくれたプレゼンでした。RMSがなぜああ生きているのか、一部のエンジニアがなぜ素晴らしい創造を出来るのか、ひとつ、より深く理解出来たように思います。

もしあなたの内なる声が、「こうしたい!」ではなく「こうなっていないのは許せない!」であるなら、あなたの中にも信条が見つかるかもしれませんね(^^)
それが幸せに生きられることかは分かりませんが、自分が何の為に生きているのか、ことばにして取り出せるほどはっきりと見えるならば、随分スッキリと生きられるんじゃないでしょうか。

ま、一つ確かなのは、同僚から「お前宗教臭いよ」とは度々言われるでしょうけどネ。

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まとめtyaiました【エンジニアが信条によって生きるということ】

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